水芭蕉の宿 こばやしぺれこ
「時期になれば水芭蕉が咲くんですよ」
私を先導する男が指す先は、一面の雪に覆われている。水芭蕉が咲くのであれば水辺になっているのだろうが、僅かに雪が隆起しているだけの雪原にその気配は無い。今も降り続く雪は大粒で、空から降る様は桜の散るようだった。
宿の渡り廊下はガラス張りで、日の落ちた雪景色は目にも冷たく、しんしんとした冷気が足元から這い登ってくる。
どうぞゆっくりしてください。客室へ私をいざなった男は音もなく襖を閉めた。
八畳ほどの部屋は、畳だけが真新しい他は壁も調度も古めかしいものばかりだ。だが汚らしくはない。きちんと手入れされ、手をかけられたものだけが持つ重厚な空気が部屋全体に満ちている。
私は男の淹れた茶を口にする。部屋にある暖房器具は火鉢ひとつきりだが、不思議と寒くは無かった。
田舎町の山奥、秘境とでも言うべき場所にこの温泉宿はあった。
こういった時期は雪に閉ざされ、陸の孤島と化し営業を中止してもおかしくはない宿だ。しかしこの宿へ至る道は、雪など降っていないかのごとく丁寧に雪が退けられていた。
「県知事さんやら市長さんやら、みんなこぞって来ますからなぁ。行けなくなったら困るから、人雇って雪かきしてくれるんですよ」
駅から宿までを走る道すがら、タクシーの運転手は笑いながら話してくれた。
他にも人はいるらしい。壁越しにうっすらと漏れ聞こえる話し声や、時たま廊下を通り抜ける気配で私はそう判じる。
しかし不思議と誰にも出会わなかった。温泉に浸かる間も、ふと思い立って廊下の窓越しに雪景色を眺めている間も、すれ違ったのは宿の従業員だけだ。
部屋に食事を運んできた女性にそれとなく尋ねてみる。
「不思議ですねえ。皆さんそうおっしゃるんです。今日だって満室なんですけど」
うふふ、と微笑まれるだけに終わった。
この宿は、特に食事がうまいというわけではない。言っては何だが、目立った所の無い山菜と川魚の料理だ。街暮らしが長ければ珍しいかもしれない。
かといって、温泉に秀でているわけでもない。これまた普通の、腰痛やらリウマチに効く(かもしれない)だけのものだ。
ではなぜ私はこの宿に来たのか。
この宿は、とにかく「よく眠れる」と噂の宿だった。
どんな薬もカウンセリングも漢方も、快癒させるに至らない頑固な不眠が、この宿に泊まると不思議と解消されるらしい。
もういっそ永遠の眠りにしか、私の安眠は無いのかもしれない。そう思った矢先に、不眠症のコミュニティで私はこの宿の噂を耳にした。正確には目にした、のだが慣用句的表現としてご容赦願いたい。
半年先まで予約でいっぱいだったが、強い薬でなんとか半年を乗り切り、藁にもすがる思いで今日の宿泊に至った。
食事の後、再び温泉で身体を芯から温める。今日こそ長らく味わったことの無い安眠を得られるのでは、という期待。そしてこの宿でもダメだったらどうしたら良いのだろうか、という不安。
二つの相反する感情を持ちながら、いざ部屋の真ん中に敷かれた布団に潜り込む。
見上げた天井は、当たり前だが知らないものだ。電灯から漏れる橙色の僅かな灯りに照らされ、木目がキュビズムの絵画のように踊っている。
自分のものではない、他所の布団というのは不思議なものだ。枕の高さも、敷布団に沈み込む身体感覚も、肌に触れるシーツも全く慣れない。
しかしこの宿の布団は、何を使っているのだろうか。柔らかいが柔らかすぎず、適度な硬さで横たわる身体を支えている。絶妙な重さで身体を覆う掛ふとんと合わせて、何か大きな生き物に抱かれているような気分にすらなってくる。
ひどく心地が良い。
温泉で温もった体温が、徐々に布団へ馴染んでいく。布団それ自体が淡く発熱しているようだ。
木綿だろうか、肌に触れるシーツの感触は、さらりと手触りが良い。生き物のようで、そうではない。こちらに触れてくるのではなく、こちらが触れてくるのをじっと待っている。そうして触れる私の手を、けして拒絶したりはしない。なめらかで、しっとりとした。
これは花弁だ。
私は花弁に包まれている。花柱のように。
私は水芭蕉の、あの白い花弁に包まれて眠る。
夢を見るなど何年ぶりだっただろうか。私は一度も目覚めることなく、朝を迎えていた。障子越しでも眩しい朝日が、部屋中に満ちていた。
雪はもう止んでいた。厚く地面を覆った雪に、日差しが乱反射する。障子を開いた格好で、私はしばらく目をつむっていた。
私が見た夢は、きっとあの雪の下にあるのだろう。
それ以来、私は不眠に悩まされることはなくなった。
どうしても眠れない時は、あの宿で見た水芭蕉の夢を思い出すことにしている。
そうすると、あの寝具とは程遠い自宅の布団でも、出張先の粗末なベッドででも、ゆるやかに眠れるのだ。
こばやしぺれこ
作家になりたいインコ好き。好きなジャンルはSF(すこしふしぎ)
写真を見た時に真っ先に頭に浮かんだのが水芭蕉でした。
水芭蕉を思ってから三秒後には写真のどこにも水芭蕉が写っていないことに気付きましたが、どうしてもあの写真の向こう側、どこかに水芭蕉がある気がしてなりませんでした。
写真に写っていないものを題材にするのもどうかと思いましたが、これもまた見たものの反応として受け入れて貰えれば…と思い書きました。
水芭蕉のあの白い花びら(本来は花びらではないようですが、見た目からそう呼びます)に包まれてみたい、と見る度思います。
花びらのあの不可思議な手触りは、毛布かシーツにしたら良さそうですよね。大きい水芭蕉の花があったら包まれてみたいです